1999-11-11 第146回国会 参議院 財政・金融委員会 第2号
しかしながら、高山登久太郎さんという名前を出したときに、面識はあるというお話になりましたね。この時点から松田さんのお話が本当に信用できるのかどうかということになるかと思います。
しかしながら、高山登久太郎さんという名前を出したときに、面識はあるというお話になりましたね。この時点から松田さんのお話が本当に信用できるのかどうかということになるかと思います。
そこの会社の社長さんは、社長といいますか実質経営しているのは高山義友希さんといって、高山登久太郎さんの御子息ではないでしょうか。
○櫻井充君 今、暴力団の方々と知り合いがいないというふうにおっしゃいましたけれども、会津小鉄会の四代目の高山登久太郎さんとは御面識がおありでしょうか。
平尾久太郎。一つの会社では鯨岡久太郎になっておる。監査役とか取締役。この人は何もかも知っている。それで、現に、この平尾さんは渡邉被告からいわゆる松沢さんが融資を受けて、そして渡邉さんにキックバックした。そのうちの二十二億何がしが流れた。そうでしょう。松沢のキックバックした金。そのうちの、二十二億のうちの五億が金丸さんに。十二名と言われている。あと十二名は一体だれか。
取締役に平尾久太郎という方がおられます。株式会社平和堂、これも社長は松沢さん、取締にやはり平尾久太郎という方がおられます。株式会社ギャラリー平和堂、これも社長は松沢泰生、ここでは監査役に平尾久太郎という方が入っておられます。平和堂不動産株式会社、これも社長は松沢泰生さんであります。取締は鯨岡久太郎となっておりますが、これは平尾久太郎さんと同一人物である。
あるいは、岩田久太郎というのは、六十二歳で「脚気衝心のため病死」と診断されましたが獄中で死亡しました。その獄中でうたった歌に「むちうたばわが身やぶれんやぶれなばやまとおのこの血のいろをみよ」、こう言うておるところを見ると、拷問によって血まみれになったであろうことは明らかであります。 そして、こういうようなひどい拷問というのは決して警察段階だけではありませんでした。
本日は、自分ども毛麻輸出組合の理事長猪崎久太郎に対しまして出席の御指名があったのでございますが、おりあしく海外に出張中でございますので、私かわりまして陳述さしていただきます。 さて、わが国の毛製品の輸出は、一九六八年、昭和四十三年でございますが、その二億一千百万ドルを頂点といたしまして漸減の傾向にあるのでございます。
それで、いま思い出しますと、昭和三十八年の六月、第四十三国会で、私はかなり当時の大蔵大臣であった田中角榮氏——郵政大臣は小澤久太郎氏ですが、この問題について活発な意見をかわして、ここに議事録もございますが、当時のことをちょっと振り返っておるんですけれども、その当時、実は一面においては運用資金の問題についていろいろと論議がございました。
ただ一人の例外が三十八年一月八日就任されました千葉の小沢久太郎さん。この方はどうしても見当りません。もっともそうでしょう、たった半年しか大臣でいなかったですから。次は、三十八年七月十八日就任の岐阜出身の参議院議員古池信三さん。この方が三十九年四月十五日、お祭り切手というのを始めまして、高山まつりを一番に使っております。
(日本化学繊維 協会会長) 宮崎 輝君 参 考 人 (日本紡績協会 委員長) 武内徹太郎君 参 考 人 (日本絹化繊輸 出組合理事長) 市川 忍君 参 考 人 (日本毛麻輸出 組合理事長) 猪崎久太郎君
本日は繊維製品の輸出振興問題について、参考人として、日本化学繊維協会会長宮崎輝君、日本紡績協会委員長武内徹太郎君、日本絹化繊輸出組合理事長市川忍君、日本毛麻輸出組合理事長猪崎久太郎君、以上四名の方に御出席を願っております。 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 参考人各位には、御多用の中を本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
祖国に帰るといったら語弊がございますが、向こうでやるなら土地の事情をよく知っているので、ぜひ仕事をやりたい、大体三つの要素が一緒になりまして、そうして私が責任者という形で日本へ陶声洋氏がお見えになりましたときは、まっ先になって、また私どもを応援してくださいましたなくなられました小澤久太郎先生なんかもわざわざ御母袋を見ていただいて御説明いただきまして、当社の技術という点に関して、われわれは技術という点
○藤田進君 本院議員小沢久太郎君は、かねてより熱海国立病院において御療養中のところ、そのかいもなく、去る九月十八日逝去されました。ここに私は、各位の御了承を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばをささげたいと存じます。 小沢君は、明治三十三年東京市芝区愛宕下町にお生まれになりました。昭和二年東京帝国大学土木工学科を卒業、直ちに内務省に入られたのであります。
月曜日) 午前十時五十二分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第一号 昭和四十二年十二月四日 午前十時開議 第一 議席の指定 第二 常任委員長の選挙 第三 会期の件 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 一、新議員の紹介 一、故議員佐藤芳男君に対し弔詞贈呈の件 一、故議員佐藤芳男君に対する追悼の辞 一、故議員小沢久太郎君
○議長(重宗雄三君) 議員小沢久太郎君は、去る九月十八日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員従三位勲二等小沢久太郎君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます —————・—————
すでに御承知のとおり、本委員会委員であられました小沢久太郎君は去る九月十八日逝去されました。まことに哀悼痛惜にたえません。ここに本委員諸君とともにつつしんで黙祷をささげ、哀悼の意を表しまして、御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。どうぞ御起立を願います。黙祷を願います。 〔総員起立、黙祷〕
昭和四十二年十月十三日(金曜日) 午前十一時五十五分開会 ————————————— 委員の異動 九月五日 辞任 補欠選任 鶴園 哲夫君 中村 英男君 九月七日 辞任 補欠選任 内藤誉三郎君 松平 勇雄君 九月十八日 委員小沢久太郎君は逝去された。
昭和四十二年九月八日(金曜日) 午前十一時三分開会 ————————————— 委員の異動 九月一日 辞任 小沢久太郎君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昭和四十二年九月四日(月曜日) 午前十時二十二分開会 ————————————— 委員の異動 九月一日 辞任 補欠選任 川野 三暁君 小沢久太郎君 九月二日 辞任 補欠選任 廣瀬 久忠君 松平 勇雄君 九月四日 辞任 補欠選任 松平 勇雄君 内藤誉三郎君
去る一日、川野三暁君が辞任され、その補欠として小沢久太郎君が選任されました。二日、廣瀬久忠君が辞任され、その補欠として松平勇雄君が選任されました。また、本日、松平勇雄君及び中村英男君が辞任され、その補欠として内藤誉三郎君及び鶴園哲夫君がそれぞれ選任されました。 —————————————
昭和四十二年八月一日(火曜日) 午前十時四十三分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 仲原 善一君 理 事 林田悠紀夫君 理 事 吉武 恵市君 理 事 占部 秀男君 理 事 原田 立君 小沢久太郎君
昭和四十二年七月十一日(火曜日) 午前十時五十分開会 ――――――――――――― 委員の異動 七月十日 辞任 小沢久太郎君 七月十一日 辞任 補欠選任 久保 勘一君 二木 謙吾君 西村 関一君 大橋 和孝君 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
昨十日、小沢久太郎君が法務委員を辞任されました。 ―――――――――――――
補欠選任 小沢久太郎 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
昭和四十二年六月六日(火曜日) 午前十時五十八分開会 ————————————— 委員の異動 五月三十一日 辞任 補欠選任 横山 フク君 木島 義夫君 内田 芳郎君 小沢久太郎君 六月六日 辞任 補欠選任 加瀬 完君 小柳 勇君 ————————————— 出席者
昭和四十二年六月六日(火曜日) 午前十時五十分開会 ————————————— 委員の異動 五月三十一日 辞任 補欠選任 小沢久太郎君 内田 芳郎君 六月一日 辞任 補欠選任 岸田 幸雄君 熊谷太三郎君 鈴木 一弘君 田代富士男君 六月五日 辞任 補欠選任
昭和四十二年五月三十日(火曜日) 午前十時四十三分開会 ————————————— 委員の異動 五月二十六日 辞任 補欠選任 稲葉 誠一君 加瀬 完君 五月二十九日 辞任 補欠選任 岩間 正男君 野坂 参三君 五月三十日 辞任 補欠選任 小沢久太郎君
本日、小沢久太郎君、木島義夫君が委員を辞任され、その補欠として内田芳郎君、横山フク君が委員に選任されました。 —————————————